【コラム】自分探しの旅は無駄なのか。

コラム

 

「自分探し? そんなの探したって見つかるわけだろw」

 

という言葉を何度となく耳にした。ある程度の影響力を持つ人達の発言だった。

これを聞いて、例えば学校や会社においての「自分」というものがよくわからなくなった人はどう思うのだろうか。

自分探しの旅は、本当に無駄なのだろうか。

 

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ある日、大学卒業まであと半年ほどの学生と話す機会があった。
談笑する中で彼は「やりたい事が特にあるわけじゃないんですけど、実は就活していないんですよね・・・」と言った。
僕が「えらい! いいねー!」と言うと彼は驚いていた。「そんな風に言われたの初めてです。笑」

 

彼は、なんとなく・・・大学を卒業し、就職をする。という【常識】に違和感を感じていたのだ。なぜ、みんな同じような生き方をするのか。という問いに漠然と立ち向かっていたのだ。しかも、友人知人の大勢が就活をしている中で、彼は立ち止って観察していたのだ。

 

僕が彼に「いいね!」と言ったのは、きっと多少の勇気や焦りの中で、【自分】と向き合っていたのを感じたからだ。

 

 

 

「いい大学に入って、いい会社に就職しなさい。」という昔ながらの価値観が未だに社会にはびこっている。と僕は思っている。もし、近所の子供が「夢なんて叶うわけないんだし、生活の為に働くだけの人生だよ。それが現実だよ。」と言ったらどう感じるだろうか。

 

夢のない子供がいたら悲しい気分になる。世の中終わってるような気分になる。
だけど、夢のある大人に対して世間は冷たく当たる。もっと現実を見ろ。などと言う。
(そして夢を叶えた途端、態度が急変し秘儀?手の平返しを浴びせてくる。)

 

 

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世界へ旅に出る前、「福岡の母」と呼ばれている占い師の前をたまたま通りかかった。
夜8時くらいで、すごい行列が出来ていたので余計に目立っていた。一緒にいた連れと興味本位で並んでみることにした。

 

そして順番が来たので、僕は「来週から世界を旅しに行くんですけど、健康や災害など何か占いに出てますか?」と尋ねると、福岡の母はすかさずこう言い放った。「何しにいくのぉーーー!? 何か目的があるのぉーーー?? 行っても仕方ないじゃない!!」

 

僕は【占い】を聞きたいと思っていたのに、これじゃ、ただの近所のおばちゃんじゃないか!!と思った。苦笑いのまま無駄な時間とお金を使った事に若干の後悔を感じつつ、純粋にやりたい事をやるというシンプルさに対して、不寛容な大人たちが金にもならず目的もない行動をバッサリと切り捨てるドリームキラーになっていると薄ら感じた出来事だった。

 

たぶん本人達にはそんな自覚など全くなく、むしろ、あなたの為だと言わんばかりに自信を持って言い切ってくる。
こうして、いつの間にか夢を無くし、【だって普通こうでしょ!】という常識や文化に飲み込まれて社会の歯車の一部として個性を無くしていく。

 

 

 

でも、心のどこかに小さな種火がくすぶっていて、夢や希望やアイデンティティが消えそうになるのを必死に守っている人は、きっと【自分探し】という言葉を聞いたときに、無意識に反応してしまうのではないだろうか。

 

 

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僕は世界を3年以上も放浪して本当に良かったと心から思っている。
特に帰国日を決めていたわけではない。たまたま3年半という月日が経っていただけだ。

 

 

ちなみに自分探しの旅に出たわけではない。ただ世界を見たかっただけだ。

だけど、日本の社会や文化から離れ、日々、自分の気分と好奇心と直観だけで旅をしていたある日、僕は気付いてしまった。

 

 

職業や年収や肩書など一切ないにも関わらず、現地の人々は【人】として接してくれて、初対面でも笑顔で家に招いて家族と一緒に食事をさせてもらったことも珍しくない。そんな時、僕は日本ではあまり感じた事のない【自分】としての価値を感じていた。

 

出会いと別れを繰り返しながら、大笑いしながら毎日を過ごした。

旅で出会った仲間は【友達】となった。

 

旅人同士は、それぞれ自分の意思があるのを前提として接しているので、
例えば、夕方集合して皆でゴハンに行こう!という約束でも、気分が乗らないからという理由でドタキャンする人がいても、その意思は尊重されるべきものだ。という暗黙の認識がある。それぞれが個としてお互いをリスペクトし合っている。

 

 

そんな旅をしていると、社会的ステータスではなく、どちらかと言えば人間性や人間力しかない関係性がとても心地良く、シンプルに人間としての本来のコミュニケーションさえも感じた。

 

 

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自分探しの旅に出たい。

 

もしこれを読んでしまったあなたがそんな風に思っているのなら、僕の立場からは、そんなの行った方がいいに決まってる!とあえて決めつけた言い方で背中を押すだろう。

 

日本は島国であるが故、独特の常識がはびこっている。

日本社会の変なルールに違和感を感じながら、でもみんなもそのルールの中で生きているんだから。。。などと思えば、どんどん自分がわからなくなってしまい、いつしかあなたも常識の枠から出ようとする人に対して、当然のように【だって当たり前でしょ!みんなそうやって生きてるんだから!】などと言ってしまうかもしれない。

 

実家を出て1人暮らしをしてみて、初めて洗濯や料理をしてくれる事が当たり前じゃないことに気付いた人は多いだろう。

子供が産まれて、初めて親の気持ちが理解できて感謝できた人も多いはずだ。

 

 

 

自分探しの旅に出たい!ともしも思うなら、出てみればいい。ただの無責任な意見に聞こえるかもしれないが、僕が思うに大切なのは【客観的な視点】で自分や自分の常識が見える事だ。

 

それに特別な事情がなければ、日本に絶対に住まなければいけない。なんて事もない。

 

日常を生きていると、自分を客観的に見る視点を持つには【意識】を高く持つ必要がある。だから旅に出なくても自分探しは不可能ではないと思う。でも、旅は強制的に客観性を突き付けてくる環境だから簡単なのだ。

 

自分がどんな人間かを知る。それは内側と外側の両方から自分という存在を見る事が大切だと僕は思っている。そして、決して自分の可能性を自分で潰すような大人にだけはならないで欲しいと祈っている。

 

さあ、旅に出よう!

 

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